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雑記

ぼくは「寄せ書き」を欲しくない

部署を異動することになり、寄せ書きをもらった。がしかし、嬉しくなかった。ぼくは、文章を読んだ時に、そこに魂が込められているか感じ取ってしまうという少し変わった体質である。スピリチュアルじゃないよ。

で、100字か150字かでコマ切れメッセージが10個寄せ集められた色紙を読むと、そのほとんどに魂は込められていない。当たり障りのない無難メッセージが並んでいる。

「次の部署でもきっと頼られる存在になると思います」

「勉強熱心なのに、ムードメーカーな雰囲気もあってとても助かりました」

「チームを支えてくれてありがとうございます」

ぼくが欲しいメッセージはそういうことじゃない。ぼくは頼られたいわけではない。「頼られる存在」となるのは対等じゃない。ぼくだって誰かを頼りたい。勉強熱心なのも、ムードメーカー的雰囲気なのも知っている。ていうか、それは多くの人に当てはまる。それなりに長く一緒に仕事をしたのに、その程度なのかと落ち込む。

ぼくがまだ見たことのない「ぼくの欲しいメッセージ」はそこには書かれていない。

しかし、そもそもこれは「寄せ書き文化」が抱える問題でもある。

長く付き合った人へ贈る言葉を150字にまとめるなど無理なものだ。必然的に薄い内容が寄せ集められたものになる。

そして、だいたいサプライズで渡される。つまり、こちらの「別にもらいたくない」という思いは事前にヒアリングされない。しかも、送る側は「良かれと思って」送る。だから、手渡される場面では断れない。苦笑いして受け取るという選択肢しかない。その場で「ちょっといらないかも」と言えるほどに、鋼のメンタルは持っていない。

まあしかし、これらは全て言い訳である。最もショックなのは、薄っぺらい寄せ書きしかもらえないような、薄っぺらい人間関係しかなかった自分自身である。演じている自分。素ではない自分。そういう「自分」に対して、職場の人がメッセージを寄せている。「本当の自分」は伝わっていなかったのか、という落胆。悲しみ。無力感。

ぼくは難儀な人間なのだとも思う。普通ここまで考えないのかもしれない。10個中2個くらいは魂の込められたメッセージもあるし、寄せ書きをもらえるだけ幸せなのだろうか。そんなもんなのだろうか。皆さんに聞きたい。

あと、寄せ書きは捨てるに捨てられない。どう捨てたらいいんだろうといつも思う。

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しーまん

口癖が「そもそもそれって・・・」の面倒くさいアラサー男。図書館にひきこもっていたいけど、なんとか外界と接触して生きながらえている。東京在住。

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