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藤本壮介・山本理顕・東浩紀の「万博と建築」というイベントを見て:木造リングが批判される理由について

このイベントを拝見した。

万博と建築 – ゲンロンカフェ

万博で会場プロデューサーを担っている藤本壮介さんと、万博に対して疑問を発信している山本理顕さんの対談を、建築批評家の五十嵐太郎さんと、哲学者の東浩紀さんがファシリテートする。

無料公開の第一部有料限定の第二部で全体4時間半にわたる長丁場である。

前日譚

契機となったのは猪瀬直樹さんと東浩紀さんとの対談番組。そこで、万博の理念・開催・運営について、誰が全体について責任もって説明できるのかが話題になった。8人いるテーマプロデューサーがなぜどのように選出され、それぞれどのように「いのち輝く未来社会」という理念につながっているのか。それを説明できる人はいるのか、いるとしたら誰かという質問に対して、猪瀬さんは「いのち輝くというテーマの中でこの若い人たちにやらせてみようとなったんだ。最終的には新しいことをやって経済効果がある」という回答をしていた。

その後、X上で、万博会場の大屋根にあるリングの建築の話に至り、リングの設計者である藤本さんと、万博に疑問を呈している山本さんを呼んで、現在進行形の万博について建築面から語ってみよう、というような形で対談につながった。

リングと責任の行方

対談の第一部は、藤本さんのプレゼンで始まった。いのち輝くや多様性のテーマ、万博自体をどのように解釈して、それがどのようにリングの設計につながったのかが説明される。万博が「歴史的な結びつきなどがない、ある土地で開催されるプラットフォーム的なもの」という前提理解をしつつ、そういう万博のフォーマット自体をどのように再定義するか。藤本さんは、そういったことを考えながらリングに至ったとのこと。

これに対して山本さんは、藤本さんが体験した個人的な夢を実現するのはけっこうだが、それは社会には共有されていないと応答。そして、350億かかるこのプロジェクトは誰が責任者なのかという問いにつながる。以後、山本さんは万博というプロジェクトの責任の所在について、誰が責任者で誰が判断したのかがわかりにくいと、一貫して指摘していく。

この点は終始具体的な形で話題に上る。

たとえば、藤本さんを会場プロデューサーに選んだのは誰なのか。藤本さんはそれはわからないと答える。藤本さんが選ばれる前、万博協会にはシニアアドバイザーがいたからその中で議論がされたかもしれないが、ではシニアアドバイザーを選んだのは誰か。そういったことが説明されるべきではないかという指摘である。

シニアアドバイザー一覧

出典:https://www.expo2025.or.jp/news/news-20191213-01/

また、リングの基本設計業務のコンペにおいては、どのような提案がどのような会社からあり、なぜ東畑・梓設計共同企業体という事業者が選定されたのか。それらが、この選定結果のPDF1枚でわかるのか。

出典:https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/211001_result.pdf

また、無料放送の第一部後の第二部においても同様の議論は続く。基本設計、実施設計はどこにどのように委託しているのか、法的に藤本さんは責任が取れる形になっているのか。企画だけして設計部分を別の業者に丸投げするのではなく、藤本さん自身の設計事務所でやるのが一般的ではないか。それに対して、藤本さんは、公共事業においてリングの企画に深く関与した自分の設計事務所をコンペに参加させることはできないという。これに対して、山本さんが「できます」といい、藤本さんは「今の時代はそんなことできない」といい、しばらく応酬が続く。

山本さんは1970年の万博の丹下健三や、自分の建築を例に挙げて「こうすればできるはず」と言うので、自分のやり方を押し付けているように見える部分があった。藤本さんと山本さんが噛み合っていないようにも見える箇所もある。しかし、その噛み合ってなさは、絶妙に重要な問題を浮き彫りにする。

ルールは責任を生まない。権限が責任を生む

責任というのは、結果に対して一定の説明ができて納得してもらえる状態をつくれるか、ということである。

具体的な例を挙げる。公共建築の設計者選定の方法としては、公募して複数の会社から提案をもらって比較検討して良いところに決めるものと、募集要項を公募せずにどこかの会社に決めるものとがある。

【公募するもの】

  • プロポーザル方式
  • 総合評価落札方式
  • 価格競争方式
  • コンペ方式

【公募しないもの】

特命随意契約方式(公募せずにどこかの1社に決める)

※詳細は下記の国土交通省のマニュアルをご覧ください

今回はプロポーザルとのことだが、なぜプロポーザルを選んだのか。その選び方が今回の公共建築プロジェクトにおいて妥当だったのか。「公共建築だから公募なんです」は説明になっていない。上記の通り、特命随意契約という方式で、藤本さんの設計事務所にお願いすること(複数社の提案ではなく一本釣りの形)も不可能ではない。ただ、一本釣りする理由の説明責任は果たす必要があるというだけ。

出典:国土交通省「建築設計業務委託の進め方

公募してコンペをした上で事業者を決めたからといっても、必ずしもいい結果になるとは限らない。イケてない業者が選ばれてとんでもない結果になることもある。そうなったときに「でも、コンペだから仕方ないですよね」で済むのか。350億の国のプロジェクトで。

「責任を取る」ということは、こういった選定方法の中からどれが妥当なのかを考え、その実施過程に関与し、選定結果に対しても十分な説明を行うこと(行われているのかチェックすること)。

自分自身がどのようにプロデューサーに選定されたのか、そのプロセスは納得できる根拠に基づいているのかをチェックし、いざとなれば自分の口で説明しきれること。それをするためには、契約書上も自分に一定の権限を集中させ、自分が知らないという状態をつくらないこと。

そこまで貫徹してようやく会場プロデューサーとして「責任が取る」ことになる。

これはコンプライアンスガチ守り時代に突入している日本において、重要な指摘だと思う。誰かがつくったルールや決まりごとに従うことで、責任を果たしたと言えるのか。新たな価値を創造するというなかでは、そのルールや決まりごとすら疑い、新たな言葉を生み出していかないといけないのではないか。藤本さんが、「万博というフォーマットを再定義する」と言った。であるならば、何をつくるかだけでなく、どのように決めていくかについても再定義するのが仕事になる。「ルールに従っておけばとりあえずOK」と思考停止になりがちな現代において、それって結構重要な視点になるのではと思った。

とはいえ、これは相当に難しいのも事実である。プロポーザルとか入札以外の方法で選定するのも難しいし、一人の人間に権限集中させるのもかなり大胆かつリスキーともいえる。でも、これはプロデューサーのスキルの問題というより、コミュニケーション的な問題でもあるので、万博までの残り1年間で、学んで、考えて、言語化するというプロセスの中で解消できる部分も多くあると思う。

対話の場をつくるという責任

今回の対話の場は、日頃から場を設計する建築家ではなく、哲学者の手で設計された。万博と関係ない一つの民間企業、東さんという一人の哲学者が、めんどくさいテーマを、緊張感のあるメンツで話す。お金をもらったとしてもあまりやりたくない。

そういう点で、知識人が社会において果たす責任の形の一つが示されていたイベントでもあった。東さんと五十嵐さんのファシリは見事であり、特に東さんが哲学者としての専門性(幅広い知識とそれへの批評)と実体験をもっているからこそ、建築家2人の言葉を要約するにとどまらず、応答もしていた。そして、五十嵐さんという建築批評家もモデレーターとして呼んで4人の座組での対話にしたという点も、適切であった。

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しーまん

口癖が「そもそもそれって・・・」の面倒くさいアラサー男。図書館にひきこもっていたいけど、なんとか外界と接触して生きながらえている。東京在住。

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