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映画『オッペンハイマー』で描かれた核兵器開発プロジェクト

話題の映画『オッペンハイマー』を見ました。オッペンハイマーは第二次世界大戦中、アメリカで原子力爆弾の開発を主導した物理学者で、その人を描いた映画です。

オープンイノベーションのマネジメント戦記

 クリストファー・ノーランの作品はどれもそうなのかわからないけど、ともかく時空を行ったり来たりするから追いつくのが大変。「テネット」も初見だと意味不明だった(笑) 

 今回の作品を見ながらわかったのは、核兵器の開発が、産官学連携の技術開発プロジェクトで(今風に言うとオープンイノベーション)、そのディレクターがオッペンハイマーだったということ。オッペンハイマーは、学生時代から「ちょっとサイコパスな奇才」みたいな感じで描かれている。ユダヤ人で、女性関係もわちゃわちゃしてて、共産主義にも興味があり、いろいろ渋滞気味なキャラクターである。

 そういった多面性というか、多動性的な感じからなのか、世界に散らばる科学者を巻き込んで、何にもない平野にロスアラモスという研究所を建設し、ヒト・モノ・カネというリソースを結集しながらプロジェクトを推進していく。仮説と検証(今風に言うとProof of Concept)を繰り返し、ついに1945年に世界初の核実験トリニティ実験に成功し、その結果として広島・長崎に原爆が投下される。

 核兵器開発という一つのプロジェクトの中に、オッペンハイマーが位置づけられている。

反戦映画かどうかがそんなに重要なのだろうか

 別にこの映画が反戦なのかを考えることにそんなに意義を感じないし、広島・長崎の惨状を描くべきだったとも別に思わない。作り手の自由かなと思う。

 「核兵器バンザーイ」とか「科学の力は偉大だ」的な単純な構成でもない。核兵器開発は、科学技術のオープンイノベーション的なプロジェクトとして推進され、実際にある意味で科学的な進歩はあった。プロジェクトの成功の結果、オッペンハイマーは英雄となり、人々が歓喜して様子が描かれている。

そして、その不気味さも際立っていた。人間の好奇心の暴力性、想像力の限定性、純真無垢さ。核兵器を使う地域を選定するハイレベル会議の様子も、そのへんの企業の取締役会さながらの様子である。自分たちのすることの長期的な影響をほとんど考慮しないまま、不完全な情報と限られた想像力で、しかもドヤ顔で意思決定する。ああ、こういう恐ろしいものをつくり、そして使った人間の本性って、今なおぼくらの中にもあるよなあと感じさせる。Chat GPTに熱狂し、Society5.0とか有識者会議開いて、ドローンぶんぶん飛ばして、イノベーションしようぜ、とかね。

 「あの惨状を忘れてはいけない」というメッセージがなくても、「この不気味さは今の時代もあるよね」という解釈もあってもいいと思う。

サムネイル引用:映画『オッペンハイマー』公式サイト(https://www.oppenheimermovie.jp/)

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しーまん

口癖が「そもそもそれって・・・」の面倒くさいアラサー男。図書館にひきこもっていたいけど、なんとか外界と接触して生きながらえている。東京在住。

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