私を「チームみんなのお母さん」と形容したあなたへ。
私はあなたのお母さんではありません。
あの時の私は派遣職員で、正職員のサポートをするのが仕事でした。仕事の多くは、経費精算や記事投稿作業など、一般的に雑務と呼ばれるものでしたが、組織運営に欠かせない役割であることを理解し、一抹の矜持を持って取り組んでいました。正職員のパフォーマンスが上がれば、それが全体の利益になると思ってやっていました。
あなたがもし、私を「誰がやっても変わらない作業をただ黙ってやる人」だとみなしていたなら、残念なことですが、それはそれで構いません。あなたにわかってもらいたいとも思っていませんでしたから。
ただ、それを「お母さん」と形容したのは、世のお母さんへの冒涜ではないですか?お母さんは、誰かのパフォーマンスを最大化するための装置なんでしょうか。
そして、あなたは知らないかもしれませんが、当時の私の考えや工夫を取り入れ、形にできた仕事もいくつかあります。今も誰かの役に立ってるかもしれません。こんな仕事はあなたのいう「お母さん」には含まれていますか。
あなたに悪気がないことはよくわかっています。
もし、頼れる、気が利く、というようなことを思って私を「お母さん」と言ってくれたのなら、それはあなたのお母さんが、頼れる、気が利く人なんだと思います。私に自分の母親を重ねる前に、あなたのお母さんに直接、「頼れるね」「気が利くね」と言ってあげるべきではないでしょうか。
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