今日は6月18日土曜日。だべりーのの運営会議?をおこなった。
運営会議といっても、しーまんと世の中のあれこれや近況を喋りながら、2人の書きたいものを探し、時々記事の手直しをするようなオンラインミーティングだ。
今日の私は、1つだけ爆弾を忍ばせていた。
それが、この「一発書き」である。
「一発書き」つまり、即興の執筆を思いついたのは、あるライティングに関する本を読んだから。
私は文章を書くのが好きな割には、筆が遅いというか、腰が重いというか、まっさらなものに対峙するのが苦手だ。その悩みに寄り添ってくれそうなタイトルだと思い手に取ったのが、「ライティングの哲学」。4人の筆者が自分の執筆法や執筆哲学について述べている。ところどころ、ライティングに使用するソフトウェアのことなど、込み入った話もあるのだが、総じてプロの作家やライターでも、何かをあきらめたり、断念したりしていることがわかった。それは決して匙を投げているのではなく、「自分は素晴らしい文章が書ける」と思うことをあきらめ、今の背丈のまま書くというあきらめだった。
私が物を書くときに、どこか身構えてしまう理由はまさにそれだった。
できるだけ人を傷つけず、分かりやすく、面白く、それでいて親しみやすい文章を書かなければ。そんな強迫観念に迫られ、今日の精神状態では書けない、とか、今日はまとまった時間が取れない、とか、そんな風に言い訳して先延ばしにしていた。その荒療治として、「一発書き」を思いついたのだ。思いついた順に文字にする。書き直しは原則なし。喋るようにつらつらと書く。不可逆な執筆。しびれる。きっとしーまんは賛成してくれる。というか、やってみてよ、と言うだろう。
案の定、しーまんは、「いいね。こっとんが書いたのが読みたい」と言った。ふふん。そうでしょう。そう言ってくれると思った。というわけで今、私こっとんはキーボードを叩いている。
もう少し、私が一発書きをしたくなった理由を書いてみようと思う。
1.完成されたコンテンツに疲れたから
面白いYouTubeがたくさんある。面白い映画やドラマがたくさんある。この世は作品にまみれている。でももう正直疲れた。作品は、受け取る側にも労力がいる。もっとだらだら人間を見たい時だってある。素晴らしい価値あるコンテンツは、受け取る側だって、受け取るだけで精一杯だ。即座になにかを打ち返すことはできない。きっとこれは文章を読む人だってそうだろう。
2.切り取れない文章を書きたいから
文章は、切り取って見出しにされ、ネットニュースなどになって、やいのやいの言われることが本当に多い。多すぎる。だけど、音楽や映画の過激さは、結構許容されたりする。この差はなんだろう?と思った。よくわかんないけどたぶん、パッケージ化されているかどうか、という点にヒントがありそうだ。
文章は、1文である程度の意味を持ち、まとまっているから、そこだけ切り抜いてもあんまり違和感がない。音楽や映像は、フレーズの間やカットの間にも、続いている景色、音、モード、世界が感じられるから、それが途切れるまでが、文章でいう1文と思われているんじゃないか。文章とそれ以外では、1文の中に詰め込める情報量が圧倒的に違う!私はそのまとまりを打破したくなった。無意味な1文とか入れたい。推敲している間に削り落とされることばにこそ、その人の思考があらわれるんじゃないか?そんな意味で、”ここだけ切り取っても意味ない文章”を作るのに、チャレンジしたくなった。
3.自分の考えが変わっていく様を見せたいから
この「だべりーの」で公開してきた文章は、実は結構な工数がかかっている。発案してダメになった文章もある。様々な方向から考えた結果、テーマを大きく変更する、なんてこともある。だけど、記事ができていく過程こそ、人間の面白いところであり、人と話す意味であり、だべることの醍醐味なのでは?と気が付いた。未完成なものを発信するのは勇気がいるけど、未完成だからこそ、だべっている私たちは読み手であるあなたと地続きであることを認識させてくれるんじゃないだろうか。
書いて公開するって、自分の意見に結構自信ないとできないことじゃん。私も他人の文章を読んで、「はえーすげーなーかしこいなー」とか思ったりするのだけれど、それは様々な思考をめぐらせた最後の最後だけ公開してるから、自信あるように見えるだけなんだよね。だから、「〇〇について書きたい」と思って、考えを巡らせて、納得できる感じの文字列を作っていく過程も見せなきゃ、だべりになってないんじゃないかと思った。ほら、もう文章めちゃくちゃになってきたでしょ?でもこれもそのまま公開するね。
4.まとまっていなくたって、間違っていたっていいから
「完成されたコンテンツに疲れたから」にも近いんだけど、まず、完璧な人間はそもそもいないよね。人は間違うし、支離滅裂だし、都合がいい生き物だということを、もっと自覚したら生きやすいのになと思う。そして、誰かに指摘されたり、されなかったりして、私たちは生きている。IQ200とかのめちゃ頭いい人だって、太るなあと思いながら夜中にポテチ食べることもあると思う。それでも別にいいじゃんね。そもそも無能な私は、みんなに助けられて生きており、誘惑に負けており、間違いを連発している。それでも生きてていいし書いてもいいししゃべってもいい。そんなポンコツ星人も好きなことを発信していいんだ、と安心できる場所が、だべりーのだと思っている。
「一発書き」の行く末
さて、まとまっているのかそうじゃないのかわからない文章ができた。
ドキドキするから、一応、この文章をしーまんに見せようかな。訂正はしないでねって言って。ここまで、ノンストップで書き連ねたので、誤用・誤字・脱字もあるかもしれないけど即興だからね。即興で書いてるからこれ。
これから、この一発書きシリーズでは、ニュースで気になったこと、私生活で気づいたこと、そこから記事を書くために調べたり、話を広げたりする模様を、正直に書いていこうと思う。時々しーまんにも書いてもらって、応答したりしなかったりしてみようと思う。
ここ「だべりーの」は、いろんな人間が通り過ぎたり交差したりする場所でありたい(なんかいいこと言ってる風だけど、ごく普通の社会を言っている)。もちろんこれまで通り、2人であれこれ考えたことも発信しながら、同時に、私たちの思考の道程を、一発書きで惜しまず公開していこうと思っている。
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