チェロレッテ・シーズン3が配信された。今回のバチェロレッテは、武井亜樹さんという宇宙関係のビジネスを手がける元官僚。15名の男性との真実の愛を求める旅、全9話が公開された。
私は今回のシーズン3も、毎回公開日に視聴して追いかけたのだが、・・・うーん。あまりにもシーズン1が奇抜で面白かったので、新シーズンが公開されるたびに、刺激が足りないように錯覚してしまう。どのシーズンでも、それぞれのバチェロレッテが自分なりの旅をしているだけで、そこに良し悪しはないことは承知しているのだが、それにつけてもシーズン1が面白すぎた。
シーズン1公開当時は日本初のバチェロレッテだったため、当然他のバチェロレッテとの違いを比べることができなかったわけだが、シーズンが3つ続いた今、やっと萌子さんの魅力について語ることができるようになった。
というわけで、以前公開した「バチェロレッテ1を見て「萌子のメンタルブートキャンプ」に参加したくなった話。」に続いて、別の視点から福田萌子の魅力を論考していく。
相手のことを知る前に、まずは自分から開示
萌子さんという人は、とにかく自己開示が早い。時間が限られた旅なのでスピード勝負なのは間違いないのだが、シーズン2・シーズン3の2人に比べても、圧倒的な早さ。「相手のことを知る前に、まずは自分から開示」という姿勢だ。
例えば第2話。萌子さんは、初対面の挨拶時に「NEVER JUDGE A BOOK BY ITS COVER(本を表紙で判断しないで)」と言っていたマラカイさんを、このシーズンの最初のデート(しかもツーショットデート)に誘う。そのデートで早速、萌子さんは沖縄生まれでありながら沖縄にルーツがないこと、それによって人から投げかけられた言葉、周囲の反応をどう感じていたかまで、先にマラカイさんに開示した。すると、デートのお相手だったマラカイさんは「自分の話のようだ」と驚き、自らのルーツについて自然に話し始め、最短距離で互いの理解を深めることに成功した。
日常生活の中であれば、出会って早々に自分について語るなんてよくあることで、特筆するような出来事ではないかもしれない。しかし、ことバチェロレッテシリーズにおいては、バチェラー・バチェロレッテが自ら先にバックグラウンドを語るのは、めちゃくちゃレアケースである。なぜなら、彼ら・彼女らは、ごく短時間でローズを渡す人を決めなければならず、常に時間に追われているからだ。自身のことを参加者たちに語るのは、エピソードがある程度進んで一人ずつと向き合う時間ができてから(もしくは語らない)という判断になる。そのセオリーに反して、萌子さんがあえて自分から語り始めたおかげで、お互いのパーソナリティに踏み込むきっかけとなり、特別な関係を構築していくことが可能になった。
また視聴者にとっても、バチェロレッテの自己開示によって、視聴体験は大きく変わる。バチェロレッテが自己開示しない場合には、視聴者は彼ら・彼女らの魅力をいまいち掴めないまま進む、という状況になりかねない。ふと気づけば「なんでみんなでこの人を奪い合ってるんだっけ?」と我に返ってしまうことがないだろうか(私は大抵5話くらいからそうなる)。
シーズン1を最後まで楽しめたのは、萌子さんの自己開示が、視聴者にとっても萌子さんの旅を最後まで見届けるモチベーションになったからかもしれない。
必死に人間性を引きずり出す
ピカイチの自己開示スピードを誇る萌子さんだが、当然、自分語りのみで悠長に時間を過ごしているわけではない。ローズを渡すかどうかを判断するために、まるで大御所MCのように場をぶん回しながら、相手に探りを入れ続けている。
第4話のカクテルパーティーで、参加男性の1人である萩原さんが自身の教育方針を熱心に語っていた時にも、萌子さんは「(子どもが)何もしたくないって言ったらどうする?学校も行きたくないって言ったら」と、鋭い質問を投げかけた。萩原さんは「学校は、行かせる。すごい楽しかったから俺は」と食い気味に答えたが、それに萌子さんは何かを感じたようで、その日のローズセレモニーでは萩原さんにローズを渡さずお別れすることとなった。
第2話の後半で杉ちゃんとの対話を振り返った際の「どういう風な話し方が彼にとって心地いいんだろう」という発言にも、萌子さんのホストとしてのメンタリティが凝縮されているように思う。萌子さん自身のふるまい次第で、その人らしさを自然に引き出せるのかどうかが変わることをよくわかっているのだろう。そして、互いに無理のない対話の場でこぼれ出てくる人間性については、絶対に見逃さないという技量が萌子さんにはあった。
このように、シーズン1では萌子さん自身の行動や発言→参加者たちの反応を観察→ローズを渡すかどうか判断 というサイクルが毎回のデートで繰り広げられる。
一方通行な言動や、不毛なミスコミュニケーションが起こらず、双方向の対話が成立するので、我々視聴者にとっても見どころの多いシーズンとなったのだと思う。
NEO萌子、爆誕
旅を終えた後に収録されるアフターファイナルローズ(本編の後に配信される出演者たちのトーク企画)では、最後の一人を選ぶことができなかった萌子さんが参加男性全員の前に登場する。ここでの萌子さんは、男性たちからの不平不満にも鉄壁の姿勢で立ち向かっていた。
中でも語気を強めていたのがこの言葉。
「私は真剣に向き合いきれたのかと自問自答することもありましたし。(ここで涙ぐむが、すぐに強いまなざしに変わる)……ただ、すべてまとめて、これは私の物語であり、私の旅です。誰が何と言おうと、私の決断に迷いはない。」
恋愛リアリティーショーは誰かに何かを言われるためにやってるようなものだと思うが、ここまで言い切るのは並大抵の決意ではない。
言葉選びに細心の注意を払っている萌子さんが、「これは私の物語」という、時には独善的に聞こえるような強い言葉を使っていることに注目すべきだ。決断までに何度も逡巡しているうちに、萌子さん自身を納得させるだけの説得力を持った、最強のマインドの持ち主”NEO萌子”が爆誕したんじゃないかと推測する。もちろん本当のところは萌子さんにしかわからないが。
NEO萌子は、こんな理由で最強の決断を手に入れたんじゃないかと思う。
- 参加者ひとりひとりとの「2人の物語」もきちんと終わらせてきた
- 自分の言動には、全編通して偽りや隠し事がないので後悔しようがない
- 今後誰のせいにもできない・しない結論にしたい
誰にもローズを渡さないまま旅を終わらせるということは、参加した男性たちの心情や番組側の都合、視聴者の反応などを無視した自分本意な決断だと見た人も多かっただろう。しかし「これは私の物語」という言葉は、この旅の責任は自分にあるという、萌子さんのある種の宣言だったのだと思う。一見わがままのような決断であっても、未来の自分はその尻拭いができる、というとてつもない次元での自己受容の表れだ。この旅で彼女が求めた”真実の愛”は、ナルシシズムとは一線を画す、究極の自己愛として表出している。
自分を上手に愛せない私こっとんは、その”真実の愛”を求めて、シーズン1を何度も再生してしまうのかもしれない。
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