幸福追求時代が押し寄せている。幸福学、ポジティブ心理学、マインドフルネス、レジリエンス。幸せになるための方法が次々と開発される。幸せにならなくてはいけない、という呪いなのだろうか(笑)
なのに、うつ病の人の数は増えている。ぼくもうつっぽくなって、メンタルクリニックに相談して、漢方薬などもらったことがある。よく「明るい人間」「ウェーイ系」と勘違いされるんだけど、そんなことは全くない。もともと、根暗だし、ネガティブだし、いろいろ不安になることもある。そもそも、ずっと「ポジティブな人間」なんているんでしょうか。みんな何かしら不安や心配事を抱えていて、抱えてない風にしてやり過ごしているだけなのでは。。。
つらいものはつらいし、死にたいものは死にたいのだから仕方ない。まあいろいろ仕方ないよねという視点で、不安やつらさ、死にたい気持ちなんかを考えてみるとする。
まずは、『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』という本。ネガティブな感情はけっこう大切なんだよと言っている。

幸福のマイナス面
幸福にはマイナスな面がある。ネガティブとされている感情にはプラス面がある。幸福を追求することが大事だと考えている人たちは、そうでない人よりも寂しさを感じることが多い。そんなことが書かれている。
まず、幸福な人は、人を信頼しすぎる。落ち込んだ状態の人は62%の確率でウソを見破ったのに対して、幸福感が高かった人は49%しか見破れなかった。
さらに、幸福な人たちは考えることをめんどくさがる。2001年の同時多発テロの後、ある実験が行われた。実験参加者は「銃を持った人」がスクリーンに映ったら発砲するよう指示される。次の段階として、スクリーンに現れるターゲットの半分がイスラム世界の伝統的なターバンを巻いており、残りの半分は巻いていない。どちらも「銃をもった人」の割合は同じという状況。
その結果、幸福な人はターバンを巻いたターゲットに対し、それ以外のターゲットの3倍も多く発砲した。幸福感の低い人はそうはならなかった。
幸福な人たちは、いつもは感謝を忘れずいい人であろうとするが、身の危険が迫る状況では「思い込み」から抜け出せずに判断を誤ってしまう。
一言でいえば、幸福だと、嘘を見破る能力が落ちて、判断ミスを起こしやすい。逆にネガティブな感情が強いと、相手が信頼できる人間かどうかを見極められ、危機的状況でも注意を集中することができる。これは直感的にもわかる。幸せな人って、細かいことや複雑なことを考えるのがそんなに得意ではない気がする(何人か顔が浮かぶ笑)。
困難を乗り越えるために必要なのも幸福やポジティブさではない。「怒り」「罪悪感」「不安」の3つなんだとか。
軽い衝撃ですね(笑)。
怒り
怒りはコントロールしなければいけないという「常識」がある。ぼくもどちらかというと怒りっぽい方なので、アンガーをマネジメントしようとしてきた。しかし、怒りは常に悪いわけではない。たとえば、交渉の場面で怒りを示すと有利に働く場面がある。「怒りを表す買い手」「終始機嫌の良い買い手」「普通の買い手」では、「怒りを表す買い手」が大幅な値引きを引き出したという実験もある。
ただ、むやみやたらに怒ればいいわけではない。「不快感の通告」が大事。相手に自分がいま不快な気持ちになっていることをその場ではっきりと知らせる。そうすることで相手の行動や感情に変化を起こし、状況を改善する。「こんなことで腹を立ててはいけない」と言うのは捨てる。怒りの回避もあきらめる。空気を読む日本人にはなかなか難しい話だけどね。
罪悪感
罪悪感とは「自分の誤った行動に対して自分を責めること」。あーやっちゃった、というやつ。罪悪感があるから、人は過ちから学び改善することができる。一方で、自分という人間を悪い人間と思う「恥の意識」はよろしくない。行動が間違っていても、それを行った人が欠陥人間であることにはならない。この区別が大事。たとえば、飲酒運転のドライバーだと一目でわかるナンバープレートを義務付けたりしても、恥の意識が強くなってより攻撃的になり周囲から孤立したりする。反対に、罪悪感をもって害をもたらした自分の行動を見つめることで、今後どうするかを考えることができる。
不安
ある実験が紹介されている。
仕事をしているとパソコンがウイルスに感染する。一刻も早く上司に報告しなければいけない状況であの手この手で邪魔が入る。同僚に作業を頼まれたり、すれ違った人が書類を床に落としてしまったり。この実験では、不安の強い人は、あらゆる障害をすべて無視して上司のところに事態を報告しに行った。
危機的な状況下では、ポジティブな人よりも不安の強い人の方が、なすべきことに照準を合わせて行動する。親切心をかなぐり捨て、自己主張する心の強さを発揮して、解決に向けて大胆に行動する。
脱・ポジティブ至上主義
いつもポジティブでなければいけない、幸せにならなければいけないという思い込みを一旦捨ててみてもいい。嫌な気持ちになっても、不安になっても、それを顔に出さないのが大人。スンとしていることがいいこと、かっこいいことみたいな風潮がある。そういう上司や同僚もたくさんいる。はっきり言おう。全くかっこよくはない。
上司や友達に「調子どう?」と聞かれたら、「今、めっちゃ萎えてる」とありのままに伝えて何も問題はない。
ぼくたちの「不安」や「怒り」は、なくならないだけでなく、チームや社会に必要なときもあるんだから。
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