お笑い界が盛り上がりを見せている。年が明けてからの私は、2023年・2024年のM-1チャンピオン、令和ロマンにどっぷりハマってしまい、高比良くるまさん(令和ロマン)の著書「漫才過剰考察」も読み終えてしまった。この本はタイトル通り、彼が持つお笑い界の仮説を語ったもので、漫才師の脳内を明かしてしまうような一冊だった。
私は2019年のM-1グランプリを見てから一つの仮説を持っている。
「お笑いの構成は音楽の構成と酷似している」
お笑いと音楽は、どちらも限られた時間の中で聴衆を魅了するためにクリエイターが工夫を凝らしたものである。持てる時間を伸縮させ、緊張と緩和、静寂と爆発、期待と裏切りを生み出すことで観客を楽しませる。そもそも舞台の使い方が類似しているから、構成のパターンにも共通点が生まれるのは当然だ。お笑いに直接的に音楽を用いる「リズムネタ」「歌ネタ」というジャンルが成立しているのも、その転用のしやすさ故だろう。
今日はくるまさんの著書にあやかって、お笑いと音楽の構成を”過剰考察”していきたい。
お笑いと音楽のジャンル分け
お笑いと音楽は、まずジャンルの分け方が似ている。
お笑いでは、漫才、コント、モノボケ、フリップネタのように、演者の人数や、舞台装置、小道具を使うかという、言わばハードに着目した大きなジャンル分けがある。
対して音楽もお笑いと同じように、交響曲、アンサンブル、デュオ、ピアノソロといった、編成(楽器の数や演奏者の数)に注目した、ハード面でのジャンル分けが存在している。
もちろん、お笑いも音楽も、ソフト面でのジャンル分けも可能だ。
お笑いでは、しゃべくり漫才、コント漫才、一発ギャグ、漫談といった、ネタの内容で切り分けた場合のジャンル分けが存在する。漫才のスタイル、コントのスタイル、のような言われ方をすることもあるだろう。そして音楽も、曲の展開・構成によってジャンル分けすることができる。
音楽の構成とはなんだろうか。例えば90~00年代のJ-POPだと、
(1番)Aメロ→Bメロ→サビ
(2番)Aメロ→Bメロ→サビ
間奏→Cメロ→大サビ
という構成が覇権を握っている。Cメロの代わりにBメロを繰り返したり、Aメロより前にサビが入ったりなどのバリエーションもあるが、すべてこの形の変形と言えるだろう。海援隊の「贈る言葉」も、AKB48の「ヘビーローテーション」も、スピッツの「楓」も、Omoinotakeの「幾億光年」も同じ構成と言える。

音楽の構成の変遷は、その時代の時間の使われ方に大きく起因する。90~00年代のJPOPは、テレビの音楽番組の都合に合わせて、1番+Cメロ+大サビとダイジェストでも聴かせやすいつくりといって良いだろう。一方、最近はショート動画が隆盛したために、前奏がなくいきなり歌い出す曲(いわゆる「出オチ」)が多いというのも、聴かれ方に対応した音楽の構成の変化と言える。
それではここからは具体的に「音楽の構成」と「お笑いのスタイル」の関連を見てみよう。
お笑いのネタを例に「音楽の構成」を見てみよう!
1. ロンド→ミルクボーイの「コーンフレーク」
ロンドとは、A→B→A→C→Aのように、主要テーマ(A)の間に、Aとは異なるエピソードがはさまる音楽の形式。エピソードはテーマとは関係のない楽想を用いる。くるくると回りながら、何度も同じところに戻ってくるイメージだ(ロンドは漢字で書くと「輪舞曲」)。代表曲は、P.チャイコフスキー/くるみ割り人形より「行進曲」。
ミルクボーイの「コーンフレーク」というネタでいうと、こんな感じ。
主要テーマ(A):コーンフレークの特徴(栄養素の五角形がデカい、腕組みした虎がいる、など)
挿入部(B・C):コーンフレークとは異なる特徴(人生の最期に食べたいもの、生産者の顔が浮かぶ)
コーンフレークだったり、コーンフレークじゃなかったり、ツッコミの内海さんが振り回される構成だ。聞いている人はコーンフレークを中心にずっと揺さぶられ続けることで、主要テーマであるコーンフレークが強調される構造になっている。
2. 変奏曲→笑い飯のダブルボケ
変奏曲とは、最初に提示されたテーマを少しずつ展開・変化させる形式。代表曲は、W.A.モーツァルト/きらきら星変奏曲。装飾が増えたり、リズムが変わったり、とにかくバリエーションを楽しむ音楽である。
お笑いで言えば、M-1グランプリ2009で大爆発した笑い飯の「鳥人」。まさに「鳥人」が変奏曲のテーマにあたる。
哲夫さんより鳥人という架空の存在が提示されたあと、西田さんとボケを重ね合っていく。毎回新しい鳥人像を描いていくことで、聞いている人の中でも鳥人の可能性が広がっていく。
基本のテーマ(ボケ)を何度も変奏しているうちに、視聴者に「次の鳥人(テーマ)はどうなる?」と期待させる点は、変奏曲に類似していると言える。
3. 対位法→アンジャッシュのすれ違いコント/オードリーのズレ漫才
対位法は、複数の声部が独立しながら進行する音楽。代表曲でいうと、J.S.バッハ/小フーガト短調。旋律にハーモニーがつく単声音楽とは違って、パートが次々と現れ、絡み合いながらストーリーを進めていく。
アンジャッシュのコントでは、渡部と児嶋がそれぞれ異なる文脈で登場し、すれ違いが生じる構造が対位法の特性に似ている。例えば、最初に児嶋が「コンビニにバイトの面接に来た若者」というストーリーで語り始めると、後から出てきた渡部が「万引き犯と話す店長」として語り始める。掛け合いに矛盾がうまれそうなのに、なぜかお互いのストーリーは成立したまま話が続いていく。二つのストーリーが、ズレているのにハマっていく気持ちよさは、まさに対位法のようだ。
対位法の形式のひとつに、カノン形式がある。カノン形式は複数の声部がタイミングをずらしたり反復したりする形式である。パッヘルベル/カノンはよく使われる曲なので、一度は耳にしたことがあるだろう。
この形式はオードリーの漫才にも見られる。若林さんがどんどんと話題を進行させるのに対し、少しのタイムラグがあって春日さんがズレた返しをする。若林さんのツッコミで二人が交わったり、さらっと流したりするのを楽しむ様は、カノンと近いものがある。
4. ジャズの即興演奏→中川家のアドリブ
ジャズのセッションは、曲の雰囲気・テーマに合わせながら、各奏者が自分のインスピレーションに任せて即興で演奏する。その時にしか生まれないライブ感と掛け合いが楽しい音楽だ。ジャズの名盤であるビル・エヴァンス&ジム・ホール/My Funny Valentineを聞いていただければわかる。
このアドリブのライブ感といえば、中川家。極めて即興性の高い漫才をやっていて、剛さん・礼二さんがその時やりたい小ボケをやりながら互いの言葉に即興で返す。どこまでが台本で、どこからがアドリブなのかもわからない、その自由な姿はジャズの即興と言っていいだろう。
実はジャズの即興演奏は緻密な計算により生まれている。コード進行やベースのリズムが土台となっており、あくまでもその中でプレイヤーが展開していくスタイルだ。中川家の漫才も、漫才の大きな流れやストーリーは逸脱せず、あくまでその漫才の枠組みの中で自由に走り回っている。何処にどのくらいの分量でボケるか、どこまではみ出るか、そこに高い芸術性がある。
ちなみに、リズムネタ・歌ネタとの境界があいまいになるので取り上げなかったが、ピン芸人ZAZYのネタは、チャイコフスキーの交響曲第5番と同じ伏線回収の仕方だなあと思うし、ジャルジャルの国名わけっこは、パターン化されたリズムで遊ぶ点でミニマルミュージックっぽさがある。
時代とともに変化するお笑いと音楽の構成
この記事をここまで読んでくださった方には、お笑いを音楽的に観たり、音楽をお笑い的に聴いたり、どちらも何度も味わいつくす楽しみ方を提案したい。そして新たな発見があれば私にもシェアしてほしい。
冒頭でも述べた通り、構成の移り変わりは時間の切り取り方の変遷である。お笑いも音楽も、見る人・聴く人の反応をダイレクトに感じながら進化してきたコンテンツ。賞レースに合わせた3~5分くらいのネタが発展してきたお笑いと、音楽番組に合わせた構成へと変化してきた音楽。その共通点と相違点を探してみると、現代社会での時間の使われ方がちょっとだけ分かるかもしれない。
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