前々から、映画館で予告を見て気になっていたので観に行った。原題はConclave(コンクラーべ)。2025年3月20日公開、アカデミー賞脚色賞受賞。
あらすじ
キリスト教最大の教派・カトリックの頂点、ローマ教皇が死去。
後継を選ぶ教皇選挙<コンクラーベ>が開かれ、ローレンス枢機卿がその采配を任される。100人超の枢機卿がシスティーナ礼拝堂に集まり、投票は難航。陰謀、差別、スキャンダルの数々にローレンスの苦悩は深まっていく。そして新教皇誕生を目前に、厳戒態勢下のバチカンを揺るがす大事件が勃発するのだった…。
キリスト教における法王とコンクラーベの仕組み
キリスト教の宗派の中でも最も古くて信者数が多いのがカトリック教会である。その“本部”にあたるのが、イタリア・ローマにある世界最小の国、バチカン市国。国家でありながら宗教組織でもある、ちょっと不思議な国だ。
そのバチカンの頂点に立つのが教皇(ローマ教皇)。いわば「カトリック世界の代表」であり、歴代の教皇はずっと、神に選ばれし者として敬われてきた。任期はなく、やめるときは「亡くなる」か「自ら辞める」しかない。
教皇が空席になったとき、次の教皇ってどうやって決めるのか?そこで登場するのが、「コンクラーベ(教皇選挙)」という神秘的な儀式。
「コンクラーベ」とはラテン語で“鍵をかけた部屋”という意味。教皇を選ぶために、カトリックの中でも最高位の聖職者たち、枢機卿(すうききょう)が世界中からバチカンに集まり、完全に外界と隔離された状態で選挙を行う。
彼らは投票者であり、候補者でもある。選挙権を持つのは80歳未満の枢機卿のみ。スマホやパソコンはもちろん、通信手段はすべて没収。場所は、ミケランジェロの天井画で有名なシスティーナ礼拝堂。彼らはそこで、誰が次の教皇にふさわしいかを話し合い、ひたすら秘密投票を繰り返す。
その投票結果は「煙の色」で世界に伝えられる。票が割れて誰も選ばれなければ、黒い煙が礼拝堂の煙突から上がる。2/3以上の得票で当選者が出ると、今度は白い煙がモクモクと立ち昇る。その瞬間、世界中が「あ、新しい教皇が決まった!」とわかる仕組みになっている。
ここ最近のコンクラーベによる法王の交代をまとめるとこんな感じ。
教皇 | 在位期間 | 教皇交代に至った経緯 | 選挙の状況 | 教皇の特徴 | 社会の反応 |
---|---|---|---|---|---|
ヨハネ・パウロ2世 | 1978–2005 | ヨハネ・パウロ1世の急死(在位33日)による | イタリア人票が割れ、ポーランド出身のヴォイティワが8回目で当選 | 初のスラブ系・非イタリア人、カリスマ性・外交的、冷戦終結に寄与 | 非イタリア人教皇に驚きつつ、世界的支持を集めた |
ベネディクト16世 | 2005–2013 | ヨハネ・パウロ2世の死去(長期病)による | 保守派中心の枢機卿団で、ラッツィンガーが第4回投票で選出 | ドイツ出身の神学者、保守的で理論重視、教会伝統を擁護 | 保守層には歓迎、リベラルからは懸念の声、スキャンダル対応に苦慮 |
フランシスコ | 2013–現在 | ベネディクト16世の自発的退位(健康など) | ベルゴリオが再浮上し第5回投票で選出、南米初の教皇 | 初の南米・イエズス会出身、清貧・社会派、包摂と対話を重視 | 改革への期待と共感、保守派から批判もあるが一般には高評価 |
革新派と保守派の勢力図、確信と疑念の葛藤
同じキリスト教カトリックのなかでも、「信仰のあり方」に違いがある。そして、それをほとんど認め合えていない教会内部が描かれているのが面白い。世界各国の枢機卿がバチカンに集まって互いを尊重し交流するのかと思いきや、食事の時はきまって同じ言語圏の人々で固まっている。英語圏、スペイン語圏、イタリア語圏など、大体似たような文化圏の人たちが集まり群れを成す。

アメリカ出身の枢機卿(ベリーニ)は、世俗主義の強い社会の中でカトリック教会を運営するため、社会問題(LGBT、移民、経済格差、死刑制度など)に対して現実的で柔軟なアプローチをとる場合が多い。イタリアの枢機卿(テデスコ)は、地理的にバチカンに近いことから、制度・伝統重視の意識が強く、教会の古典的価値観(婚姻観、典礼様式など)を重視する傾向がある。
カトリック教会内部のこの対立構図は、カトリック教会自体が、世界各地で、様々な価値観や考え方の衝突にさらされていることを示している。選挙管理人のローレンスのスピーチも、カトリックが直面する現代をとらえたものになっている。
It is this variety, this diversity of people and views which gives our church its strength. And over the course of many years in the service of our Mother the Church, let me tell you, there is one sin, which I have come to fear above all others.
Certainty. Certainty is the great enemy of unity. Certainty is the deadly enemy of tolerance.
Even Christ was not certain at the end. My God, My God, why have you forsaken me? He cried out in his agony at the ninth hour on the cross. Our faith is a living thing, precisely because it walks hand-in-hand with doubt.
If there was only certainty, and no doubt, there would be no mystery…and therefore no need for faith.
(日本語訳)
この教会に力を与えているのは、まさにこの多様性――人々や意見の違いなのです。
そして、長年にわたって教会に仕えてきた中で、私が何よりも恐れるようになった罪が一つあります。
それは、「確信」です。「確信」は、結束の最大の敵です。
「確信」は、寛容を殺す敵です。キリストでさえ、最後の瞬間には確信を持っていませんでした。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」
彼は、十字架の上で、最期の時に、苦しみの中でそう叫んだのです。
私たちの信仰が生きているのは、それが疑いとともに歩んでいるからです。もし、確信しかなく、疑いが一切なければ、
そこには「わからなさ」も、「越えられないもの」も存在しません。
そして、「すべてがわかっている世界」においては、信仰など必要ないのです。
ちなみに、この確信と疑念は、しゃべ図書でも記事で書いた『チ。』ともつながる話である。疑うことで知を深め、しかし殺されてしまったアルベルトの父。好奇心を持ち信念を持ち進んだ結果、人を殺めてしまったラファウ。ぜひ、一緒に観てほしい。
驚きの結末:伝統は現代の価値観をどのように受け入れるのか
(ネタバレ含むので要注意)
買収、罵りあい、足の引っ張り合いにあふれる教皇選挙。その低俗な有様を「世界の枢機卿が集まってこの程度とは」と痛烈に批判したのか、アフガニスタンで活動するメキシコ出身のベニテス枢機卿であった。亡くなった教皇が極秘で枢機卿に任命した人物で、コンクラーベではずっとローレンスに投票。謎の多い人物。最終的に、法王に選出されることになる。
そして最後の最後で、ベニテス枢機卿は男性として生きてきたが、実は子宮も持っていることがわかる(「インターセックス」というらしい)。「確信」を持つことの危うさを説いていたローレンスも、さすがにその「確信」が崩れるとは、的な困惑を隠しきれない。だが、白い煙を眺めながら前法王の亀を池に戻すラストシーンには、カトリック教会にとっての一筋の希望が暗示されているようにも思える。
隔離された教皇選挙の舞台裏を緻密に追う描写は好奇心を刺激する。そのなかで蠢く人間たちの権力闘争もスリルがある。そして、伝統や理念を重んじてきた巨大組織がいかに腐敗し、しかしその中で新しいイノベーションが始まっていくのかという組織再生物語としてもとても面白い。強いワンマン経営者が君臨していたジャニーズやフジテレビ、そのほか日本の様々な企業組織を見渡した時に、不確実さを受け入れ、「疑念」を持ちながら前に進んでいくことの難しさを感じてしまう。
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