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漫画とドラマと映画

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』を観た

何日か前に、こんな記事を読んだ。

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なんの偶然か、「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら、私はもうこの世にはいない」という本作の予告をみたので、これは行くしかないということで観にいってきました。2025/1/31公開、スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の映画とのこと。

あらすじ

重い病に侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)が、友人で作家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)と再会。会っていなかった時間を埋めるように、マーサは戦場記者としての仕事のことや、疎遠にしている娘のことなどをイングリッドに打ち明ける。治療の効果がないとわかり、マーサは自らの意志で尊厳死を望み、最期の時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼む。イングリッドは、悩んだ末に、マーサの最期に寄り添うことを決意し、彼女が借りた森の中の小さな家で一緒に過ごすことに。マーサは「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら、私はもうこの世にはいない」と告げ、二人の短い数日間が始まる。

マーサは、なぜ自ら命を終わらせる決意をしたのか

マーサは、1970年代のアメリカを楽しく生きていたが、彼氏がベトナム戦争に行ってしまい、帰還するとPTSDになっていた。そんな彼と一夜を過ごしミシェルという娘を授かるが、育てるにはマーサはあまりに若すぎた。その後、彼とは一度も会うことはなく、戦場記者として世界を駆けずり回る。ボスニア紛争、イラク戦争。戦地を転々とする中で、多くの生死に触れた。その土地その土地で「動く家族」とも言えるような信頼できる人間関係をつくり、強靭な肉体を保ちながら、様々な環境を生き抜く術を身につけていった。皮肉なことに、病にかかってもその強靭な肉体や心臓は健康を保とうと動き続けてしまう。一方で、治療によって、記憶力が落ち、嘔吐や倦怠感が襲い続ける。肉体を保ちながら自分が自分ではなくなってしまう。その苦しみが彼女を襲っている。

過酷な環境を生き抜いてきた彼女だからこそ、自らで終わらせるという選択に至り、しかも最期の時に、森の中の小さな家で、「動く家族」としてイングリッドという友人を必要としたのだろう。

イングリッドは、なぜ最期の瞬間に立ち会うことを選択したのか

イングリッドは、「死への恐怖」をテーマにした小説を書くような人物である。そこが、実はこの映画の面白いところなのだと思う。イングリッドは、おそらくそれなりにお金にも余裕があり友人も多いだろう。おしゃれな服を着て、ジムに行って運動もする。病室ではマーサの話を受容的に聞き、マーサが会いたいと言えば駆けつけ、自分の気持ちも適度に伝える。普通の人でありながら、とんでもなくいい人でもある。不思議なくらいのいい人なのである。

イングリッドがどのように生きてきたのか。マーサとはどういう関係だったのか。なぜマーサの最期に寄り添うことにしたのか。これらは明確には描かれていない。もしかすると、イングリッドの姿は、残された人たち、つまり映画を見ている私たち「死を恐れている健康な人」なのかもしれない。イングリッドと同じ立場に立たされた途端、自分だったら友人の死にどのように向き合うかを考えてしまう。ティルダ・スウィントンの名演もありマーサについ目が行くが、イングリッドへ視点を移すと、ぐっと思考の幅が広がる。

死の物語ではあるが、陰鬱とした雰囲気ではなく、くっきりと色鮮やかに人の生の終わりが描かれていたよい映画だった。

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しーまん

口癖が「そもそもそれって・・・」の面倒くさいアラサー男。図書館にひきこもっていたいけど、なんとか外界と接触して生きながらえている。東京在住。

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